(えむさん続き)
TVにくりかえしくりかえし流れるCMは「ジャンプ」のBGMで主演四人の吹き
替えキャストが宣伝されていました。その吹き替えキャストとしてアニタ役に安奈淳が起用されたのでした。
このときの声優陣は今考えてもゴージャスで、脇に至るまでベテランが配されていした
声優ではない俳優の吹き替えは失敗に終わることが多いのですが、このときはとても
よかったように思います。後年歌手の堀江美都子やベテラン大塚氏の吹き替えたフジ
テレビ版(これがDVDスペシャルエディションに収録されているものと思われます)とテレビ東京版も見ましたけれど、
特別いいとは思いませんでした。きっと日テレ版を繰り返し聞いたために脳が洗脳されちゃったのね…テレビ東京版は
日テレ同様一般の俳優(っーかミュージカル系俳優)を起用していますが、特別に良かったようには思いません。
しかしこの日テレ版はもともとの映画の歌声によく似た人が起用されていたので、歌に入るときの不自然さが
感じられず、アメリカなど「違うわそうじゃないのよ」と台詞の後に歌いだすのがファンである私でさえ
「美樹ちゃんが歌っているようだ」とさえ思ってしまうくらいです。
CMにはベルサイユのばらを推す様子が露骨に配されていて、その上オスカル役者とし
て有名な安奈淳はレポーターとしてパリの撮影現場に行っており、ファンなら必ず観てしまいます。
その人たちが「ベルばら」映画の動員予備軍ですから。前宣伝としてはよく考えたものですよね。
 このときどうして夢中になってしまったか、当時子供だったということもあって未だによくわからないのですが、
とにかく録音したテープを何度も何度も聴きました。それで台詞をすっかり覚えてしまいまして(爆)
先日ヤフオクでその日テレ吹き替え版を元に田舎の学生が起こしたらしい上演用台本
が出品されていまして…台詞読んだだけで日テレ版とわかる自分が悲しい…

その後宝塚の愛読者大会たるもので(宝塚にはこのようなイベントがあるのです)榛名由梨さんという
日本初演時のアクション役の方が出世作ということで、「クール」や「トゥナイト」を歌ったのですけど、
これがあまり歌の得意ではない方なのでとても良くなくて。でもマリアのパートを
歌った潮はるかさんという方は、宝塚の歴史の中でも一、二を争うのではないかとい
う歌姫ですので、とにかく高音まで完璧に伸びて、オペラティックで(たぶん原音より高いと思われるのに)
素晴らしい「トゥナイト」でこれが私の「トゥナイト」の標準となってしまいました。(笑)
それに「体育館のダンス」なんかもヅカの子たちがやるとバタいんですよね。外人ぽくて。
このときの「トゥナイト」のマリアの歌声が私の標準になってしまったため後から何聞いても
点が辛くなってしまいました。こりゃ比べられるほうもたまりません。潮姉妹みたいに歌える人のほうがまれで
あって、このくらい歌えて当然と思っていたこどもの私はかなりゴーマンだったと今では思っています。

 そういうのを見た後に衝撃がございました。高校生になって、四季のレコードを市村ファンの教師から
借りて聴きましたところ、すげー下手。芝居も下手だが、久野綾希子の歌のへたくそさとアニタの立川真里の
おばさんくささに私も私の友人達も絶句。新劇の芝居を見るための市民団体や一般公演で普通の芝居を普通の子供よりは
見慣れていた私には、演技とは俳優座や文学座くらいは当然とおもっていましたから、
(今思うと要求高すぎ)新劇集団でありながらこのへたくそさには参りました。それでも四季の舞台を観にいきました。
久野は噂に聞いていましたが、地味で若い私にはかなりおばさんに感じられ、その上歌は大して上手くない。
(こんなひどいこと書いてしまってすみません。しかし久野さん退団後は上手くなりました。
それに自分の歌声がいやで苦しんでおられたとか)それに…それに…ジェッツも
シャークスもオヤジなんで(爆)
頭とかきてるんですよ…今後私はこのWSS髪の毛問題(いやオヤジ問題か)に苦しめられる羽目になります。

四季で再演されるって言うのでキャストも若返ったので観にいくことに。
前回アンダースタディだった野村玲子(現四季主催浅利慶太氏夫人)がマリアでとても可愛いという噂で楽しみに
していきましたが、とってもへたくそでその上特別可愛くないのでとてもがっかりしました。
当時ヅカなんてほとんど見なくなっていたとはいえ、ヅカで可愛い娘役に慣れていた
私にはあの程度の容姿や声では特別可愛い部類ではなく、その上私の歌の標準は前述
の潮姉妹という高いハードルのため、点がからくて申し訳ない。
「ワン・ハンド・ワン・ハート」なんてこわれたスピーカーみたいになっていて、こんなに高音の出ないあまり
歌の上手くない人を何故キャストするのか、それは主催と特別な関係なんだろ!!!とすぐに気づいたくらいです(笑)
芝居も四季メソッドどっぷりで、余り上手いとも思えない。(彼女の名誉のために言っておきますが、その後
やや歌も上手くなりました。それに彼女は役さえ合っていればそこそこの芝居をします。特に「アンチゴネ」など)

この公演には別の不純な目的がありました。山口祐一郎の顔を観にいくというものです。
山口の顔?歌じゃろーがといわれそうですが。初めて彼の歌を聞いたときの圧倒的な
迫力には驚きましたが、そんなことよりとにかく彼は私が人生で最も愛した男にそっくりだったので、そういう理由で
山口氏のファンに。
この山口祐一郎、並外れた長身で、がたいもがっちり、殴られたら首の骨折れそうな
立派な容貌でありまして、おまけに正統派ハンサム。その上歌に関してはミュージカル界で右に出るものはいな
いだろうというほどの歌い手。もう、「サムシングカミング」や「マリア」なんか聞いていると彼の歌とい
う酒の入った大きな海で溺れながら酔っ払ってしまいそうです。
しかし演技力も相手役と息を合わせるのもかなり問題のある役者で(爆)長年のパートナーだった保坂知寿以外
とはあまりよいコンビネーションは見られませんでした。

四季の役者の問題は皆さん真面目そうで絶対喧嘩なんかしなさそうなのが大問題。その上あの金太郎飴みたいに誰もが
同じ調子でしやべるのも大問題。台詞聞いていると気が抜けそうになって
しまうんで。トニーは山口はあのガタイと頭わるそーな(笑)感じは以前不良だったとしても殴ったら相手が
骨折するってことで(おい)まあいいとしても、芥川英司(現鈴木綜馬)や石丸幹二は絶対喧嘩なんて
悪いことしませんそんなことやったらママにしかられそうなお上品なお家で育てられたのがお顔にでているのよ!
芥川さんは確かに「マリア」を歌うときの感情表現とか素晴らしいんですけど、(個
人的には私達姉妹は彼が理想の夫像です)喧嘩しないよなあ。現在も過去も。石丸幹二も同様。
それとその他少年たちの毛の問題(しつこいぞ)オヤジぶりの問題。女性陣は野村さえいなきゃ私はとりあえず満足です。
(笑)あのへたくそな歌を金を払って聞かされる観客はたまりません。その上プロフィール写真より本物は可愛くない。何故だ?
他の出演者は写真のほうがブサイクに写っているのに。(暴言)

特筆すべきはアニタとマリアの両方を演じた四季の実質上のナンバーワンスター保坂知寿でしょう。
劇団四季を最近からご覧になっていて劇団四季どっぷり大好きな方には個性的過ぎる保坂さんという意見も
あるようですが、四季つまみ食いの私には彼女のどことなく四季の枠からはみだした
芸風は好みです。私と保坂の出会いは不幸で、「コーラスライン」で「ダンス・テン・ルックス・ス
リー」というナンバーを歌ったのですが、この人のルックス、スリーと言うには手足明らかに長すぎ。短足のひとが激怒します。
というわけでひどい矛盾を感じて納得いかないまま、WSSでの再会となりました。
保坂アニタは確かにまだ若くて四季らしい同じ調子の台詞もあり、やや雑な演技でしたが、この人は感極まった
ときに吐露される台詞に抜群の感性を見せるのです。歌と踊りのほうはパワフルでいうことありません。
まず「アメリカ」が終わったとき、観客は雷に打たれたように熱狂的な拍手を送り、
日生劇場が揺れるようでした。保坂のアニタはまさにティーンの若いはつらつとした
女の子で、踊る彼女の姿が日生のあの広い舞台いっぱいに見えたほどです。そして
「アイ・ハブ・ア・ラヴ」で歌詞が初演の時と変更されていて
最後の「女の幸せ」(こう書くと演歌の歌詞のようですが)という部分で泣かせましたね。
「トーンティング」での台詞はまだ若い女の子だというところがとても生かされてい
て、強姦されそうになってつい嘘をついてしまうのも、肝の据わった姉御タイプではとても表せないようなナ
イーブさでとてもよかったのです。彼女のアニタは四季の歴代一といわれていますが、
マリアも多分そうなのかもしれません(私としては違いますが)
キャスト表を見たときに「アニタじゃくなくて残念だけど、野村の歌をきくよりかなりマシ」と思いつつ見たのでが・・。

当時の保坂は歯並びが悪く、(浅利はロンドンに連れて行くために一年間出し惜しみ
して矯正させたらしい。現在は八重歯ありません)また、化粧がドへたでとにかくブサイク。あの化粧の汚さは本当に
何とかならんものかと思いました。(その後やや改善)それに細いですがあまり小さい人ではないのです。
しかし意外にもマリア可愛いんです。声が可愛いし、山口と歌う「トゥナイト」は圧巻。
まさに同じ時代に生を受けてその歌を聴くことが出来たのを感謝しています。
それに聞き苦しかった野村の「アイ・ハブ・ア・ラヴ」とは違って、ド迫力でアニタ役を圧倒。
ショーストップになるのではないかと思うくらい拍手が来て私もぶったまげました。
確かに演技は四季のメソッドにのっとっていて気が抜けそうなときもありますが、可憐な声と歌で全てをカバーといった具合で。

四季の舞台は多分二十回くらい見ていると思います。いやもっとかも。(我ながらあきれる)
上演が決まると毎週観にいってしまうし、地方公演も行くので。四季ってフリーキャストでチケット販売時点では
キャストがわからないので観たい人を見るためには沢山買わなくちゃならない。浅利
も良く考えたものです。フリーキャストは「キャッツ」からなのですが、多分「WSS」から完璧にフリーに移
行したのだと思います。86年の「WSS」、春夏地方は好調な売れ行きでしたが、春の日生公演の新聞評はまさに「酷評」、
観た人たちもそう感じたのかもしれません秋の公演はドル箱スター二人(市村、保坂)が翌月公演で休演ということもわかって
いますから、売れ行きはひどい状況で、新聞に例外的に全日程のキャストを載せるほど。
それでそれぞれの役者のファンを動員しようとしたのでしょう。それでも埋まらなかったらしく、
私が友人と当時の男(友人はWSS好き。男は私が洗脳して今ではWSS好き)を誘って出かけた日は
ソワレなのになんと二階席に最後列と最前列しか人がいないという状況。
別の日に観にいったときの入りもよくなかったですからこの日だけというわけではないのでしょうけど。
その日の出来はマリアが何せ高い音は全部はずすので(はずすというより出ないからがなっているだけになら
ざるえない)がったがた。友人は声楽やっている人なので余りのことに唖然「歌は久野さんのほうがまだいい」
とか言ってまして。後年「彼女(野村)が上野(芸大)を受けていたら素晴らしい成績で合格していただろう」と
ぬけぬけと妻を絶賛していた演出家、こんなので合格ありかよ。
キャスト表が出たおかげで飯野さんの素敵なリフに再会できたし、アンダースタディの鈴木京子という新人のマリア
も見ることも出来ました。このマリアは四季歴代で一番舞台顔が美人のマリアでしょう。往年のヅカ美形娘役
北原千琴に舞台顔がなんとなく似ているんです。(しかし京子ちゃんはプロフィール写真が毎度ドブスなので
舞台顔がこんなに可愛いとは誰も想像できません)その上この頃はまだもろにクラッシックな歌いぶりで、
素晴らしい歌唱を堪能させてくれました。山口との並びも息はあっていないものの(山口のせい)美男美女。
ロマンティックでした。何故かこの日は満席でした(笑)
マリア役は難しいのだと思います。四季の女優さんたちはラストの女の激しさみたいなものを表現するのが
苦手らしく、堀内さんなんかも特に何かが駄目というわけでないのですが、清楚かも
しれませんが、あの激しさは感じなかった。確かに清楚だし久野さんや野村さんより歌もいいんですけどね。
特に可もなく不可もなく。良さが私にわからないだけかもしれませんけど。

四季のベルナルドにはこれまた特に何かが駄目というよりとんでもなくかっこいいというのは感じたことは
ありません。吉元さんとかかっこいいんですけど、加藤さんとかも上手いんですけどしびれるほどセクシーって
感じではないですね。喧嘩の後にアニタと燃えそうな感じしないし(おい)私がベルナルドに求めていた
しびれるほどのかっこよさはなかったです。結局動物的激しさっていうのが四季の役者さんにはないので、
技術はあるけど(ヤバイ人もいるけど)全体的に体温みたいなものとか、熱が余り感じられないんですね。

そんなこんなで何度も親しんできた四季のWSS、90年公演から振り付けもややオリジナルに近くなり、
アクロバテイックな感じはやや薄まりましたが、相変わらず四季舞踊団と揶揄される「これでもか」的な
テクニックのひけらかしは健在。今思うと吐き気ものです。確かに迫力はあります
が、迫力よりオリジナルが大事だと私は考えるので。四季のWSSの振りはここから踊りで、ここから芝居と区
別がつきやすいほどビシバシテクニック状態で「全部振り」という印象がぬぐえません。
本来WSSの振りはミュージカルのなかのモダンバレエらしく、日常着で登場人物たちが感情表現として踊るもの
でなければいけません。でも四季は「アイ・フィール・プリティ」なんか最後にパンツ見せたポーズで終わるし、
「ランブル」もいかにも振りなんです。全体的に台詞が同じ調子で端正ですけど、
自然さに欠けていて人間の体温が感じられないようなそんな感じなのです。
しかし90年の日生劇場公演は四季のWSSのひとつのピークだったと思います。回によってはメソッドの殻が
破れた感情のうねりが感じられたときもあり、技術的にもとても安定していて公演そのもののレベルは決して
悪くなかったと思います。このように安定したキャストで安定した内容の公演を行ってくれたのは
よかったと思います。特に歌はこの時が一番安心して聴くことが出来ました。

四季のそれぞれのキャストへの感想はあまりにもさまざまな組み合わせで観ているので私の記憶に
残っていて、印象に残っている人のことを書きますが、まずアニタ役はそれぞれインパクトありましたが、
前述の保坂以外では山田千春と鎌田真由美の二人が印象に残っています。
山田はもともときれいな人なのでだんだんと垢抜けて本当にきれいになっていきました。この人も足が長い
ナイスプロポーションのアニタ。だけど四季の路線の主流はヅカ男役系路線なんです
よね、山田も柴垣も元ヅカ男役だし美波里も男役系(厳密にいえばツレ系)。どうもドスのきいた姉御タイ
プでコケットな感じなんてないような演出。コケットなリタ・モレノに美樹ちゃんが元男役とは思えない自然な吹き
替えをしてくれたのと、日本初演時の芸術祭大賞受賞理由に挙げられた砂夜なつみの女らしくいかにも五十年
代らしいアニタが私のアニタ像なのでドスのきいた姉御では気に入りませんね。
鎌田真由美さんはこの人はダンサーとして優れた人だと思います。その上芝居好きな人ですね。
四季メソッドにあわせて演技する人が大半の中、マリアのこわいろを真似るときの様子など、ああ、この人は
観客の生理に逆らわない自然な演技をする人だな、芝居好きなんだと好感を持ちました。
リフは四季のオリジナルキャストの飯野さんは若者に見えるんですよね。それに四季の中で浮いて見えるほど
上手くて(笑)荒川さんはいかにも少年ぽくて、それにこの人は四季に珍しく舞台マナーもいい。二階後部の
お客様にまで隅々まで挨拶するのはこの人だけで他の劇団員は観客への感謝や笑顔がある意味印象的。
アクション役は美声で有名な園岡アクションが印象深いですが、四季の「クラプキ巡査の悪口」は
ぜんぜん少年にみえましぇん。すげーオヤジくさい。

これからWSS四季でやるんでしょうかね。そのときはプログラムや会報でで他のカンパニーの悪口を
言って「やはりわれわれこそが最も素晴らしい」と自画自賛するのかね(笑)それが目に見えるようです。
でもとても忙しそうなのでおそらくやらないでしょう。ソプラノも足りないみたいですし、それに不良に見える人は居ないことですし(笑)
ちなみにオリジナル作品「異国の丘」のダンスパーティーでの出会いのシーンことを私の周囲の人間はWSSの
パクリみたいに感じるといっていました。私もそう思います。

来日公演、店主様もご覧になったアラン・ジョンソンバージョン拝見いたしました。
やっぱり少年達がオヤジで、となりの席の妙齢のオジ様が「飛ばないね〜」って首をひねってまして。
このときの公演で特筆すべきは歌コケがなかったこと。流石に海外のカンパニーは歌えるやつの層が厚いと
思いました。日本での上演は歌が必ずといっていいほど苦しいんですよ。
それにジョンソン氏の演出のコンセプトはオリジナルに近く、わかりやすく、またと
てもオリジナルを大事にしているのは感じました。再来日版のときもそう感じました。
この人はロビンスを神の如く崇拝していますからね。
まあ、ジョンソン氏はブロードウェイ初演に出演している人なのでそれも理解できます。
最初の来日のマリアとアニタが四季では考えられないくらいの美形だったので、それも私には高ポイント。
ヤミル・ボルゲスはワールド・ツアーキャストなので予想通り来ましたけど本当にきれいでした。
ただし最初の来日公演はトニーが踊れない人だったのでバレエシークエンスがめちゃくちゃだったのがいただけなかった。
でもディーン・バトラー歌はいけてました。このときは再来日より日本でも知られている役者ということにポイントの
置かれたキャストでしたが、再来日のほうが技術的にはよかったように思います。しかし私の希望する若い少年に見える
キャストでの上演はまだなく、私は「若く不良に見える少年達」を切望していました。

そこに宝塚月組での上演が!!!
やっと若くて不良に見える少年が見られると心躍りました。
宝塚を生で見るのは十年ぶり、今ではどんなスターがいるのか名前さえさっぱり状態なのにいっちゃいました。
何せ主演の二人の名前もわからないまま劇場に。
家族や友人達との観劇は冷や冷やものです。何せくさーい宝塚の演技は不自然ですから。
(最近はそんな芝居をするようなのも減ったとも思うが)きっとバカにされるかもとどきどきしつつ観劇にいそしみました。
毎度ながら男友達まで宝塚に誘うという暴挙までしまして。
ややしょぼいながら宝塚のド根性の象徴である生オケもちやんとあり、セットはオリジナルを尊重しながらも、
宝塚らしい大がかりなもので素晴らしい…。
そして肝心の生徒達の演技は、もう泣きたくなるくらい素晴らしいものでした。
生徒達が演出の恐ろしい鬼のような先生にしごきにしごかれていかに血のでるような
努力をしたかが、ナンバーの難しさがわかるだけに涙が出そうでした。振り付けはケレン味などなく、
オリジナルにほぼ近く(バレエシークエンスのハイリフトのみ変更。これは四季にも正確には全く同じもの
はなかったと思う)衣装もオリジナルに敬意を示したとデザイナーが述べているとおり、オリジナルに近く、
私としては大満足な出来でした。歌だけが問題でした。男声を女声で歌うのですから無理があるのは当然ですが、初演
の時はなんと原調だったしいというから驚きです。
これは初演のトニー役の古城都は男声と同じ高さでも大丈夫という稀代の低音の持ち
主だったからということです。確かに当時録音の復刻CDを聞くと男の声なんですよね。
しかしトニーの真琴つばさが歌う「サムシング・カミング」は少年の浮き立つ心持が良く表れていたし、
「マリア」には胸が甘酸っぱくなりました。今まで若く見えにくいキャストで聞いた
ときには考えられないことです。横で妹が「この人お芝居うまいねー」と言うので私もあまりの自然な素晴らしい演技
に「こいつは女に戻るリハビリが上手くいかないかも」と余計な心配をしてしまいました。(事実現在の真琴つばさはニューハーフ程度に
までしかリハビリが完了していません/ファンの皆さんすみません)
マリア役の風花舞はヅカきってのスーパーダンサーとして名をはせたお嬢さんです
が、その頃の私は何にも知りませんので、可愛い人だなと思ってみていました。登場
時本当に可愛い少女で、これまたやっとヒロインらしいマリアに出会えた気がいたしました。
ベルナルドの紫吹淳は登場シーンからカーテンコールまでバカかっこいい。それしか
言いようないです。足は長いし、ワルそうだし、喧嘩で興奮してアニタと燃えそうだし(おい)いけいけで
こざいましたし、目立つ人なので貫禄ありました。
アニタが宝塚の男役偏重という風土から男役にふられたのは残念無念。でも樹里咲穂は現代人の生理に
逆らわないいい芝居をしていてそれは良かったと思います。特に「(喧嘩の)後のベルナルドはそりゃあスケベ…」
といいかけるところなどそんなお下品なことは四季では望むべくもなく(笑)そんなところをからっと明るく言うのも
このひとのキャラならでは。南国の太陽のように華やかなアニタでした。
「アイ・フィール・プリティ」での自然な踊りと可憐さ、「クラプキ巡査の悪口」の
可愛くてこましゃくれた様子はとても楽しい。
ラストシーンでの風花舞の名演は、最初可憐な少女だったのが全く違う女の顔になっ
ていて唸ってしまいました。宝塚のような半アマチュア集団が新劇の俳優よりいい芝
居をするとは夢にも思わなかったからです。全体として日本初演を担ったパイオニアのカンパニーとしての意地とプライドが強烈
な緊張感と気迫になってひしひしと伝わり、またそれは見事に結実していました。私が観たWSS舞台版ではベストステージです。
ただし、ヅカファンの間ではこの自然な演技にはファンが楽しみにしているキザさもかっこよさもあまりなく、
あくまでも普通なのでかなり不満だったようです。(私には関係ないが)ショーもないですし、地味ですし、不評で。
ジョンソン氏はちょっとでもキメたポーズをとろうものなら「NO!NO!」と怒鳴
りまくりだったらしく、かっこよくキメることこそが当たり前だった生徒達はとまったどったようです。
またマリアへの演技指導も「もっと強く!」の連続だったらしくぶりぶりカワイコちゃん的に娘役を演じるのが
当然のヅカでは戸惑いがあったようです。確かに見終わった後に宝塚を観たという気は全くしませんでした。

翌年大変期待して再演の星組を拝見しましたが月組と違ってチケット余りまくり、なんかいやな予感が…
そうなんですよ、はずれでした。主演の二人はキャラに合っていないし、ベルナルドは薄いし、
どこにいるのかわからんほど薄い。この作品はベルナルドの出来が大切なんです。なんでもそうですが、配役というのは
バランスが良くなければなりません。対立するグループの頭は出番の数は違っていても同じくらいの存在感が
なくては物語の緊張感がなくなってしまいます。それに星組は歌がかなりいただけなかった。
この公演に誘った男友達は月組の時のように「また誘ってね」とは言わなかった。
「多分宝塚は二度と観ない」とまでいわれてしまい…多分余りにも偉大な作品の久々の再演ということで
四季と比べられること必至の月組は緊張感漂いまくりでした
が、それがなまじ予想以上にうまくいっちまったための弛緩なのかもしれません。
その上石頭のジョンソン氏が米国の宝塚経験者の演出家仲間から「もっと理解を示せ」と言われたのか
どうなのか知りませんが、かなり厳しさを緩めてくれたようです。
単にカンパニーへの信頼が出来たということかもしれませんが。ショー部分もくっつけてくれるわ(これはショー部分は別の作品
ということで理解して許します)振り付けが変更されてるわ、もう…今回はヅカの意地ってものを感じませんでした。
「クール」の変更に唖然としてしまいましたよ。本来踊るべき役を振られたのが踊れないからなのか、
エニボディズがジェッツのかわりに踊っていたんです。そんなんでいいのか。
A=ラブの代わりにベビージョンはまだいいんですけど、これはありかよ。
その上主演女優は「その人に合わせて振り付けを変えてくれるんですよね」なんて無邪気に某誌で話していたが、
無邪気すぎ。出来ないから変えてくれるんだろーがと突っ込みたくなりました。黙っていて欲しかった。
ヅカ女優はあまり頭がよろしくないとかそういうことをいわれることもありますが、
このコメントには多少そう思いましたよ。月組のとき「男性でも難しいリフトをチャレンジしたい」と申し出た主演コンビと
「変更してくれるんです」では姿勢がえらく違いすぎ。こんなところが覚悟の程の違いなのかもしれません。
緊張感ないのも仕方ない。(ちなみに私はこの星組の主演女優別の役では嫌いではありません)
主演の二人はダンサーなのでバレエシークエンスなどリフトなどもとてもきれいでな
かなかよかったにはよかったのですけどね…若者に見えないんだなこれが。ふたりとも大人っぽいので(老けてるともいえるが)
この二人のほうが日本的な湿っぽい演技だなとも思いました。男役偏重のせいか、プログラムでアニタ役は
とても小さい写真で驚きました。他のジェッツより小さい。
ありえねー。こんなところが宝塚が異様な集団と思われるところだと思うんですけどね。
帰りにプランタンのトイレで五十がらみくらいのオバサン二人組が「名作だってことはわかるけどこんな
見せ場のない作品でお披露目なんてね」とひいきのスターの出番が少ないことを愚痴っていました。妹がいやな顔で
「なんて低レベルなファンだろう、あんなのが宝塚をだめにしているんだよ」といういやな思いのおまけつきでした
宝塚版に共通した良いところは「サムウェア」を少女らしい歌唱で聞けたことです。
これ、本来少女が歌っていることになっているんですけど…。
 もともと宝塚にはWSSをパクったと公言しているショー場面などが多々あり、最近では
「サザンクロスレビュー」にそっくりな場面が。ここではマリアはトニーを追って死にます(笑)

 そんなこんなの中NYCBの来日があり、私は幸運にもプリンシパルキャストの日に当たり、
美形ぞろいのダンサー達を堪能いたしました。皆すげーかっこいいんです。世界一ルックスのいいダンサーが多いというNYCB、
ロビンスの薫陶を直接受けたバランシンの子供達はそれは素晴らしいダンスを見せてくれました。何しろ本当にオリジナルに近い
振りですから。しかし、四季のようなアクロバテイックな振りはなく、「ランブル」の振りなど、どこまでがアクションで
どこまでがパなのかわからないくらい自然で素晴らしいのです。
テクニックだけを言えばNYCBのダンサーはアクロバテイックなダンスも超絶技巧も出来るでしょう。
しかし、これは物語を演じるバレエであってテクニックを見せるものではないのですから。
「アメリカ」には四季のように変なバランスをとる場面もないしバレエシークエンスの「サムウェア」で同時に
飛び上がるような動きもなくて流れるような溶け合うような踊り。どこまでも自然でこれがオリジナルなのだ
思うと、来日や宝塚の振り付けをしたジョンソン氏がいかにオリジナルを尊重しているかよくわかって
感動しました。確かにダンサー達の歌はパーフェクトではないですが、下手ではないし、芝居は自然で上手くてほんとうにびっくり。
役を降ろされたプリンシパルダンサーのコメントに「ソンドハイムが稽古場に訪れた。
歴史が作られる瞬間に同席しているのだ」とあるのですが、彼らがいかにロビンスに
心酔しているのか、作品を大切に思っているかよくわかるエピソードだと思います。
また贅沢なオケが入っていて(新生日フィル)生WSSはさいこーでした。ヅカのはど根性オケでしたがいかにも
しょぼく、来日の編成も小さく、四季では「サムウェア」で必ず音がひっくり返るといった具合でしたが、このときは良かったです!!!

ミラノスカラ座は私の観たWSSの中で間違いなくワースト1です。
あのたるいひとをバカにしたような役者達の緊張感のなさ、トニー役のオヤジぶりには言葉がございません。
舞台装置は新味を出そうとしてのことでしょうけどそれほど成功したとも思えず、役者は引っ込む途中で、
観客から背中が見えているのに平気で演技を途中でやめる始末。そんなことが何回もありました。
袖に入るまで背中でも演技をするべきなのに、完全に日本を馬鹿にしています。
WSSを演じている役者が黄色い猿が見るんだから手を抜いても問題あるまいと思っているのは悲しいです。
しかしそれがわかってしまったんですから。演技者が観客に対して誠意ある態度を取るというのは基本中の基本。
彼らにとってミュージカル後進国の日本での公演は本意ではないのかもしれませんが、袖に入る前に演技をやめるなど
言語道断。また、こんなに観客をバカにしているのにWSSというだけで拍手する観客の外人コンプレックスにも唖然。
たまたま演劇関係者と一緒だったのですがその方も演技者の誠意のなさにはとても怒っていました。
それとトニー役のデブぶりには怒っていましたね。「夢がぶっ壊れる」と。
「劇場に夢を観に来るのにあれじゃあねえ」(笑)ズボンのウエストから肉がはみ出しているので
それを隠すためにシャツ出しでジャケットなし。リフ「(ダンスパーティーには)決めてこいよ」も
助太刀のトニーはドレスアップしないでやってきちゃうんですから。
 新進のジョーイ・マクニーリの演出ということで、浅利とジョンソン氏の演出したものしか見たことがないものです
から期待していったのに、こんな芝居にOKするなんてオオバカのタコ野郎だと思いました。
衣装も敵対するグループのメリハリに欠け、トニーがいくらデブといってもジャケットくらい作って欲しいです。

歌はこんなところで四季をほめるのは何ですけど、技術的なことでは四季の公演はこのオペラカンパニーに
比べて全く遜色なかったです。(確かにキャストによってムラはありますが)山口の歌がオペラ歌手よりよくない
とも思いませんでした。もっとしびれるように感動させてくれるならともかく、比べちゃいけませんが、
カレーラスの歌う「ワン・ハンド・ワン・ハート」などは天上の響きですね。まさにオペラ歌手の面目躍如です。
オペラカンパニーですからそういう歌を期待して行ったのですが・・・そりゃカレーラスと比べるのは無理過ぎか。
容姿ではスカラ座より山口の方が断然勝っています。(笑)

プレゾンについてはネットでの悪評、ファンさえぼろくそにいう出来らしいのでビビリながら観劇しました。
皆の文句のもとは、役者達の緊張しすぎた態度。カーテンコールさえ指示する演出の頭の固さ、
(ジョンソン氏はヅカのためにあんな長いゴージャスなショーをカーテンコールを用意したのではありません。
来日でもやっています。観客に喜んでもらうためのサービスですよ。カーテンコールまで版権云々はないと思うら、
カーテンコールまで支持するプレゾン演出家はアホではないかと思う。
オーバーチュアー削っといて版権とは笑わせる)マリア役があまりにも可愛くないということ、
低レベルな技術で世間に恥をさらしたということ、(私はそんなにひどいとも思いませんが、
少年隊のファンの方はそこそこ妙齢なので目が肥えていらっしゃるし、他のミュージカルと比べて
技術的な不満をお持ちの方も多かったようです)そしてニッキの毛の問題(笑)まあそんなところでしょうか。

少年隊でWSSをというのは私の悲願で、知り合いを回っていた禁断の自作小説には少年隊が帝劇で
WSSの上演をするシーンがあります(恥)そのときのキャストはベルナルドは当然ヒガシ!
トニーがニッキでかっちゃんがリフ。考えればかっちゃんにリフ、技術的に最も高レベルなリフなんてやばいん
ですが、「リフは弟のようなやつだっただからベルナルドがリフを殺したとき…」の台詞がかっちゃんなら
弟キャラでいいと思ったんですが(ちなみに私の妹はかっちゃん=ベビージョンらしい)
私の持論ではベルナルドはカンパニーでもっともいけてるやつがやらねばならないというもの。
ヅカのリカちゃんに匹敵するほどかっこいいのはヒガシしかいない!ヒガシがプロローグを踊ってくれたら
それだけに一万五千円払います。二万払ってもいいです。なのになんでこんな…予想通りアニタはヅカ男役OGという
最も望んでいなかったパターン。まあタータンは
上手い人なので我慢できますが、出来れば少年隊夢で「アメリカ」をうたった風花舞さんにやって欲しかったん
ですが、彼女も天才保坂と同じ「マリアとアニタを演じた」人として比べられるのもどうかと思いますが…
トニーはそこそこ歌えていればどうでもいいですね。主役であってもかっこよさは求めていませんから。
でもシャツ出しのデブは駄目です。(笑)

確かに一回目はナニな出来でしたが…八月にはだいぶ良くなっていました。
技術的には宝塚星組と競るほどのだめだめぶり。かっちゃんはこの役をやるにはあまりにもいっぱいっぱいで、
演技は良かったと思いますが、何せ踊りは…。それにトニーの歌いくらなんでも下げすぎのような気も。
それでもつらくて聞きづらかったのはあの役は歌が重要なだけに残念です。
マリアのかほちゃん、たぶんあの当時オバサンすぎると非難された雪村いずみやすでにオバサンと化だった
久野綾希子よりきっと年上…もう怖いものなんかございません(笑)ジャニーさんは若いかわいこちゃんが
舞台で共演するのを余り好まないんでしょうか。ミーとか、森山良子とか…ジャニーズの相手役には
年とり過ぎでないかと思うんですけど。 「私はどう考えても無垢で天使のような乙女という感じてはないのでコゼットでは
なくエポニーヌのオーディションを受けた」とご本人も出世作について述べているくらいですから、何でアニタではなく
てマリアなんでしょう。彼女の音域からいっても昔とった何とかからいっても(何しろ元バレリーナ)アニタで
バリバリ踊りまくって欲しかったと思っているのは私だけではないでしょう。
保坂そっくりな可愛い声は良いんですが、何せ保坂同様余り美形ではない。あのころの保坂はブサイクだったが
カワイコちゃんではあった。ヅカや四季のようにファンが、その娘役がブスでも「何と美しい人だ」という台詞さえ
あればきょーれつなフィルターをかけてみてくれるのとは違い、映像育ちのジャニーズファンたちですから
容赦ないですね「かわいくねー」の連発。タータンのアニタはヅカ男役路線というとんでもなく不満な予測どおりの配役でした
が、タータンが上手いのは十分存じておりますので何の心配もしていませんでした。
心配していたのはかっちゃんより足も長くて背も高い
ということだけ(爆)意外にもとてもコケットで可愛らしいアニタでした。
以前男であったことなど何の痕跡もなく、素晴らしいですね。そしてニッキのオヤジぶりには唖然。
それは毛のせいです。太目もあるがそれ以上に毛だ。ニッキの毛問題、
ファンもそれで盛り上がっていましたが、他の舞台ではヅラなのになぜ自らネタにしている毛を
そのままにしているんだよ!!!ばかたれー!!!

演出は悪夢のミラノスカラ座と同じジョーイ、彼の薫陶はさまざまな雑誌にあったのですが
読めば読むほどあほに思えてしまう。装置にどうしても新味を出したいらしいし、版権を振りかざす割には
オーバーチュアーがなくWSSファンをがっかりさせる。だいたい音楽的な頂点という見方をされても良いはずの
ミラノスカラ座でオーバーチュアーをなくしたような人なので、それほど大切に思っていないんでしょう…
というか世代の違いかも。四季の演出をした浅利氏は日生公演の招聘に一役買った人。宝塚初演の演出をした
サミー・ベイス氏は日本のミュージカル黎明期でのロビンス作品上演にいろいろかかわった人で映画のロビンス作品にも
出演している人。アラン・ジョンソン氏はブロードウェイ初演のWSSに出演しているという化石のような人。
皆私が生まれる前からWSSにかかわっていた古い世代の人たちであり、やはりWSSには非常に特別な
思い入れがあるわけですが、対してジョーイは若い世代であり、考え方も違うのかもしれません。
私は浅利慶太を好きなわけではありませんが、浅利は浅利なりのオリジナルへの思い
入れがあり、ジョンソン氏にいたってはロビンスは神。NYCBもWSSを特別な作品として緊張して取り組んでいます。
しかし現代っ子はまだ演出家としては二作目でこなれていないのかもしれませんが、
それにしてもWSSを白対黒のように演出しているのにはやや驚き。
ユダヤ人の天才二人がかかわったWSS、人種の問題はそんなに単純ではないはず。
白対黒なんてそれでは白人のキリスト教徒こそ一番だと考えている某ミュージカルを作った連中と
あまり変わらないほどアホだと私は思うのです。シュランクがシャークスを毛嫌いしているのはわかりやすい。
しかしたいして違わないくらいジェッツの少年達のこともくずだと思っているのも明白。だから少年たちは大人を信用しない。
それなのに単純に白と黒なの?演出家自身の根っこに本人も気づかないそういう差別意識があるのでしょうか。
移民への差別、プア・ホワイトといわれる人たちへの差別は、彼らの家族に売春しているものがいて
当たり前のようなテキストの空気に表れているではないかと思うのです。彼らの親達は差別に疲れ果て、
ドラッグに溺れ、酒に溺れ、生活のために売春をする。子供達は貧しいゆえにまともな教育も受けていない。
少年達が怒りを感じ、時に肌の色の違い以上に嫌悪を覚えるのはそういう社会を作った大人たちへであるから
そこをきちんと描いて欲しかったのに何故白と黒なのでしょう。ジェッツがやっつけ
たエメラルド団が白か黒かはテキストにはおそらく書かれていないと思う…要するに少年たちは喧嘩で発散できれ
ば相手はどうだっていいのだとさえ感じるのは私だけでしょうか。

少なくとも私が過去に観たWSSでは少年達の大人社会への憤りをくっきりと描いていた。
特にドラッグストアでの場面、ラストシーンには彼らがいかに大人を信用していないか、それが何故なのかを
強調した演出だった。今回この部分が今ひとつぼやけてしまったのが不思議である。
ミラノスカラ座のときは役者がたる過ぎて何も感じなかったけど。

ラストシーン「大人たちだけがなすすべもなくとりのこされる」はずなのです。
四季はそれを大切にしていたのです。とても重要だと感じていたのでしょう。マリアは言う、「そして私も(殺された)」と。
それは私の心は殺されたという意味なのでしょう。彼女は確かにずたずたになっている。シュランクが近づこうと
する「触らないで!」と叫んでトニーにすがりつく。彼女の目の前でトニーが葬送のために担ぎ上げられ、
遺体を担ごうとしたジェッツがよろける、それを助けたのはシャークスである。彼らはしっかりと
アイコンタクトをする。目の前で悲しみにくれるマリアの心をこれ以上踏みにじることなどできない。
憎しみから別れを告げるのです。ジェッツに憧れることしか出来ないような環境で育った少年ベビージョンが
今までなら近づきもしなかったプエルトリコ人のマリアにいたわりを見せてショールをかけてやる場面。
彼は自分が憧れていた暴力が目の前の女性を傷つけたことにショックを受けたのではないか・・・そしてマリアは
彼らが大人たちの作った間違った社会ではないものに向かって歩いていくのを見てそれを見届けるために
きっと背筋を伸ばして葬送の後につづく…。そして「ただ、大人たちだけが取り残される」のが私にとってのWSSのラストの定番。
今回上記のような演出がなかったのは大変不満だし疑問。特に遺体を担ぎ上げるシーンのさっぱりぶりはかなり
不満。かなり盛り上がるはずなのに。でも、そのさっぱりぶり、それが新演出家のリアリズムの追求から
くる考えなのかもしれませんけどね。

衣装はスカラ座同様大変不満。特にトニーの考証度外視の全身サテンのスーツ。
サテンのスーツはコンサートで着てくれ!!!勘弁して欲しい。マリアのドレスもはじめてのパーティーらしい弾むようなものが
感じられる素材で作って欲しかった。ジェッツの女子達の衣装はもっと背伸びしたものでないと、
「私達はガキじゃないわ」の台詞がへたると思うんですけど…それにリフがスカラ座のトニーのようにドレスアップ
しないでパーティーに来ているのは何故なんでしょう。シャツにタイが当然と思うんですけど。そんなこんなで
衣装には不満。「彼女達の出自(スペイン系移民)がわかるようなデザイン」と配慮している任田氏とはなんという違いでしょう。
装置は踊りにくそうでダンサーの演出家なのに謎です。いまさら青山のコンピューターシステムを見せびらかした
かったとも思えません。青山が出来たばかりのときはこれをひけらかした演出多かったんですけどね。

と、ここまでぼろくそに書きましたが、全体としては四季よりこころを感じました。演出の力ではなく、
一線で活躍する演技者達の抜群の勘のよさが芝居をグレードアップしたと言えるでしょう。
ジョンソン氏も来日より真剣さが勝った宝塚月組のほうが良かったので、今回も役者の力でしょう
(あんなスカラ座のへぼいステージと比べるのは少年隊に失礼ですけど)四季のみん
なおんなじ調子の台詞より、自然な生理に逆らわない感情の流れにのった台詞はドラマに集中させてくれました。
トニーとマリアには流石に月組の時に感じた甘酸っぱいものを感じるには若さが足りませんでしたが(笑)
特にトニーのヒガシは二幕での台詞の真に迫ったリアルさは流石と思いました。
ここの場面、私の永遠のトニー(誰が決めた)山口祐一郎よりずっと上手い(笑)
そして生に若いジェッツの面々、彼らを見られただけでオバサンは満足です(笑)
まだ若い彼らが懸命にあの難しいナンバーを踊っているのにはきゅんとしてしまいました。
生田君も東新君も私の予想よりずっと良くて、確かにつたないんだけど、それが若さになっていたと思うのです。
赤坂君も心配だったのですが(以前彼がTVで歌った「アメリカ」はイタすぎた)以前よ
り実力がついたなと思いました。それにアダルトの面々、過去最高のキャストですね。今まで劇団内でキャストする
特殊なカンパニーでしか上演されていませんでしたが、こういう部分がフリーだと確かにいい
スティングが出来ます。技術より大切なものを見せてくれた舞台でした。」

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